株式会社シーザートレーディング
TEL.042-480-2222 (営業時間10:00~20:00)
東京都調布市西つつじヶ丘1-58-12
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INTERMECCANICA |
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KUBELWAGEN Type82 |
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1998' |
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SAND BEIGE (サンド・ベージュ) |
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CREAM (クリーム合皮) 幌:ベージュ・ジャーマン |
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ASK |
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89.900km |
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デイーラー車 左ハンドル (国内・2000年11月登録) 空冷水平対向OHV 4気筒 1584cc ソレックス・キャブ 4速フロアMT(フルシンクロ) 馬力: 60馬力 トルク:11.3kgm/3000rpm 全長:385cm 全幅:161cm 全高:160cm 重量:870kg 定員:4人 装備: ・フロント・ディスクブレーキ ・サイド「窓」X4枚 ・ヒーターシステム ・「クーラー」 ・カロ「オーディオ」(骨董品) 外装仕上げ済み! 内装 全席張替え済み! 稀に見る極上個体! 車検:2年付き渡し |
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「インターメカニカ」社の 「キューベルワーゲン」! このモデルは、ただの「レプリカ」でない。 壮大なドラマのもと、完成した執念の傑作モデルである。 それは、のちほど、 「キューベルワーゲン」は、なにせ、かの「ポルシェ博士」の設計の小型軍用トラック ドイツにおける「ジープ」 1940年~45’の間に、52000台ほどが製造された。 この「本物」を入手できないこともない が、問題は「高額」「985cc」でパワーなし なにより、極上個体など、80年ほど前のクルマで、無理でしょ、、 世界中には、「キューベル」のレプリカ製造会社は そこそこ存在する。 が、ダントツのベスト、ってか、これしかない という完成度を持つのが、 当「インターメカニカ」社ものだ。 「インターメカニカ」社の創業者「フランク.A.ライズナー」氏の人生は、 ぜひ映画化して欲しい ほど、面白く、波乱万丈、ジェット・コースター人生。 ただ、間違いなく言えるのは、「天才」である ということ。 これは、一冊の本を読むと全て理解できる。 「インターメカニカ 不屈のプランシング・ブル伝説」 著者: 近藤 拓氏 発売: 東京漫画社 初版は、平成17年11月 であるが、いまでも入手できる。 *私も持っているので、次のオーナー様に差しあげます。 まっ ↑をお読み頂く前に、抜粋して、歴史を ざっくり 物語は、 1956年 ミシガン大学のキャンパスから始まる、、 校内で、自動車工学の難しい本を楽しそうに読むハンガリー人の青年、、 父(バイクメーカーCEO)以外で、こんな専門書を楽しそうに読む人を初めてみた という 美しき女性、「ポーラ」、「フランク」との出合いだった。 二人は、同じく、ナチスに故郷を追われた移住者だったこともあり、 曰く「3分で恋に落ちた」 二人は、1958年に結婚、故郷ヨーロッパへ新婚旅行へ出かける。 旅の途中で、イタリア「トリノ」へ、、ご存じ、ここは自動車産業の街、 ちょうどこの街に着いたとき、フランクが所有、売りに出していた「T型FORD」が 「売れた」と連絡が、、フランクは、その金で、この街で会社を起こそう と、。 さっそく、会社用の「ガレージ」を借りる。 家は、乗ってきたキャンピングカーの まま でだ。 1959年「インターメカニカ」社 創設 最初は、いろんなメーカーの車のチューンナップキットの販売。 これが、優れモノで、一気に評判に 1960年 FIAT500ベースの「インプ」製作。 ニュルセンブルグサーキットのコースレコードを未だに持つほどの速さっ 100台以上のオーダーが入るが、びびった「FIAT社」が部品供給停止。 その後は、自動車メーカーとして 62年「アポロ」。 65年「トリノ」。 71年「インドーラ」。 この車は、GMエンジンを積んでいたが、またまた、あまりの高性能にびびった「GM」 がパーツ供給停止。 一事が万事、この調子。出る杭は打たれ続ける。 1974年 窮地に落ちいった「フランク」は、カルフォルニア州の工場誘致の誘いで、 アメリカに新天地を求めることに。 この時、キャンピングカーで始まった夫妻の家は、広大な「城」となっていた。 この城は、本物の古城で、「ライズナー城」(フランクの名)と呼ばれていた が、 スタッフの退職金や会社の残債整理で、売却、 夫妻は、ほぼ一文無しでカルフォルニアに到着する。 夢に燃えていたが、、1ケ月後、オイルショックで大恐慌に、、、誘致話は無くなる。 ボロアパート住まい、、それでも、フランクはめげない。 中古車屋で、整備のアルバイトをして生計をたて、次なる夢をカタチにかえよう としていた。 それが、「356スピードスター」の「本物より高性能なレプリカ」である。 1976年:「インターメカニカ」「356スピードスター」発表。寝る暇なしかよっ 3年間で、600台を売りあげて、またも復活。 が、それじゃ映画化されない。 1979年 またもアメリカ経済崩壊 おいおいおい 1982年 安住地を求め、ロスからカナダのバンクーバーへ移転。 「356ロードスター」製作 これもそこそこ売れる。 1985年 自社製「チューブラーシャーシ」を開発 これにて、「レプリカ」の粋を超え、エンジン以外は全て自社製に、しかも高性能。 ふつうの「レプリカ」は、ベース車があるものだが、、。 これには、世界中の「356」マニアから賞賛が、 その中に、一人の日本人が、、オリジナルの「356」を複数台所有、いくら整備しても 完璧にならない「オリジナル」に手を焼いていた、兵庫県に住む「堀井 正昭」 その人である。 彼は、「インターメカニカ」という会社が「素晴らしい356」を作ってくれる という 話を聞いて、速攻で、航空機のチケット買う。 1986年 アメリカのロスに、、が、すでに「IM社」は、バンクーバーに移転したのち 探しまくって、やっとの思いで、バンクーバーの「IM社」に辿り着く。 フランクと会い、その思いを伝えた。 その熱意に、、フランクは、望み通りの「356」を作ることを快諾。 完成した個体が、堀井のもとに届くと、堀井は、全てを分解、、パーツごとに 改良点をレポート、提案する。 天才エンジニア「フランク」と熱意の人「堀井」のタッグの始まりである。 更に、改良された車を見て堀井は、感動。 この感動を多くの方にも体感してほしい と自ら「日本のディーラー」となる。 それが、兵庫県加古川市にあった「インターメカニカ」総代理店「ウルフブルグ商会」 物語には、まだ続きがある。 1992年 「堀井」氏は、「フランク」に大好きな車「キューベルワーゲン」の製作を 依頼する。 フランクは、戦争関連のクルマは、作りたくない と断る。 口説くこと、3年 息子の「ヘンリー」も協力して、「本物のキューベルワーゲン」 をフランクを連れ、シアトルまで見に行く。その実車のキュートさに、フランクの気持 ちが動いた。 作ろう 1995年 プロジェクトがスタート。 天才「フランク」渾身の傑作モデル「キューベルワーゲン」が完成する。 もちろん、フレームから自社製、「356」と同じく、エンジン以外は、全て。 エンジンは、ブラジルで製造されている「VW製 BA型」1600ccの新品。 70馬力、本物は、わずか「23.5馬力」 足回りは、 フロント:Wトレーリングアーム+トーションバー リア:ダブルジョイント・セミトレーリングアーム+トーションバー(リミテッド スリップデフ) ブレーキは、 フロント:ディスク・ブレーキ リア:ドラム 完成度の高い「幌」を持ち、脱着できるサイド「窓」 FRPボディで軽量なため、軽快に走らすことができる。 まさに、新車で入手できる「高性能版キューベルワーゲン」 このモデルは、堀井さんのお陰で、主に日本で売れることになる。 2001年 「フランク」が亡くなる。会社は息子の「ヘンリー」が継ぐ。 2009年 「堀井」さんが亡くなる。インターメカニカの総代理店は、その後、 世田谷区の「インターメカニカ東京」が引き継ぐ。 最終、、 2022年10月17日 カナダの本社「インターメカニカ」廃業。 つまり、もう「インターメカニカ」モデルを入手することはできない。 この先は、数百台売れた「356」と数十台しか売れていない「キューベルワーゲン」を 大切に維持していくほかない。 幸い肝心の機関系が「VW」なので、パーツの入手はどうとでもなる。 が、ボディは事故で大破させてしまったら、終了。 車輛保険 絶対加入。 では、当「キューベルワーゲン」は、何台生産されたのだろう? 世界中のサイトで調べてみた、、60台~70台ほどで一致しているが、 個人的に信憑性が高いと思われるのは、「62台」 このモデル、車台番号で、何台目に作られた個体かが分かる。 「IMIYP82」で始まり、その後の数字が、そのまま何台目か 当個体の場合、「028」であるから、28台目の生産 この数字、「062」が最後という説がある。 つまりは、62台。 最大で、70台ほどある可能性もあるが、どちらにしても、超絶貴重品。 では、当個体のお話: 以前弊社で販売させていただいた「シーザー認定号」 1998年11月製造(プレートに刻印有) 国内登録:2000年11月 車検証の車名「インターメカニカ」 日本仕様は、「km表記」 走行距離:「89.900km」 実用車であるから、ふつうに距離は伸びている。 最初に入手したのは、2022年10月のこと。 それから、2年ほどかけて、仕上げ作業 = 「シーザー認定号」への道 まず、塗装、ほとんどオールペン 内装は、シートの端が切れてる箇所があったので、ついでに、全席 新品張替え。 タイヤも、新品(ヨコハマ 185・75・15インチ)に交換。 好い感じに仕上がった。 無論、もともとのベースコンディションが◎だから仕入れたわけだが。 このモデルをまじかで じっくり観察したのも、この個体が初めて。 想像を遥かに超えた 出来の好さ。フランクは天才っ いや~ 実に可愛いっ。 戦争大嫌いの「フランク」が作ったのも頷ける。 個人的にお気に入りなのは、このカタチ 「4ドアのオープンカー」! しかも、ドアはバタフライ開き。 そんなモデル、、ある? そりゃクラシックカーの時代ならあったけど、、今の時代に ないでしょ? カタログモデルの「4ドア・オープンカー」など現在では存在しない。 それが、1998年モデルで。 当個体には、標準装備の「ヒーター」のほか、オプションの「クーラー」も付いている オーディオも。 他は いらない。 音楽聞きながら、オープンにして走らせたら 最高よっ 1998年モデル「VWビートル」に乗ってるようなもの(こっちのが遥かに楽しいけど) ふつう~に軽快に走れる。 さあ、あとは、百聞は一見にしかず、実車を観ていただいた方が早そうだ。 その前に まずは、お写真、怒涛の「145枚」を ご参考に ↓ 故「フランク・A・ライズナー」氏 故「堀井正明」氏 に 捧ぐ |
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